クラシックコンサートといえばプロムス

日本における西洋音楽の歴史は、30数名の薩摩藩士が横浜へ派遣され、英国海軍軍楽隊長ジョン.ウィリアム.フェントンに学んだのが始まりで明治2年の話である。事のきっかけは、1863年7月、薩英戦争の真っ最中、英国軍艦艦上で兵士の士気を鼓舞するため軍楽が演奏された。戦いながらそれを聞いていた薩摩藩士たちは感心し、もともと開明的な藩だっただけに機会があれば取り入れたいと常常考えていたらしい。
日本にはまだ国旗も国歌もなかった当時、薩摩藩の伝習生に国歌の必要性を説き、大山巌愛唱歌の歌詞“君が代”を採用し最初に作曲したのもフェントンである。その後、軍楽隊の演奏会で多くの名曲が日本に紹介され始めるのである。

ローヤル.アルバート.ホールの南の階段を下りると真正面が1883年開校の王立音楽大学である。ブラスバンドの発展に貢献した、“惑星”で有名なグスターブ.ホルストやミュージカルの大御所アンドリュー.ロイド.ウェバーも学び、アカデミー賞を獲った天才ピアニストの映画シャインで有名なディビッド.へブリコットが3年間留学していたのもこの学校である。